アトミック・ボックス:連載を終えて
小説が現実に追いつかれる日=池澤夏樹
ことの始まりは、冒険小説を書きたいという衝動だった。
スリルとサスペンス、謎の提示と解明、追うと追われるの緊迫感、そして最後に正義が勝ってカタルシス。
これまでずいぶんそういうものを読んできた。こんなにたくさん読んだのだから一度は書く側に回ってみたい。
推理小説の基本は殺人と犯人捜しだが、これは敬遠しよう。ぼくは生来まことに温厚な性格であって、作品の中 でさえ人は殺したくないのだ。それに替わるテーマを見つけなければ。
殺人を巡る謎の代わりに宝を中心に据えるのは?
隠された宝を見つけるのではなく、宝を持って逃げる。現代の話にすれば交通機関の活用が大事。今の日本で最 も追われたくない相手はヤクザさんでも外国のスパイでも妄想に狂うDVの夫でもなく、警察だ。監視の網の目が縦横に張り巡らされている。
宝の設定がむずかしい。
イギリスの作家ヘレン・マッキネスに『ザルツブルグ・コネクション』という傑作があった。この話の中で各国 の諜報機関が追い回す宝は、第二次大戦中にナチスに協力した各国の情報提供者の名簿だった。戦後になってみんな出世している。名簿を使え ば脅迫によって新しい諜報網が作れる。
この設定にほとほと感心したぼくは、同じくらい大きな政治犯罪として日本の中枢部による原爆の開発計画を想 定した。その秘密を記した文書があったら……
ヒロインはそれを持って警察から逃げる。
舞台は明るいところ。
それに警察から逃げるとなると新幹線も高速道路も民間航空も使えない。追う側の意表を突く手段が必要になる。
船はどうだろう? 小さな島から島へ。
と考えれば瀬戸内海は当然の選択だ。島がたくさんあるし、橋もたくさん架かっていて風光明媚。
そんな風に考えて資料を見ているうちに、一般の人が年に一度しか入れない島を見つけた。犬ノ島。私企業のも ので毎年五月三日のお祭りの日にだけ賑わう。
その日にその島でヒロインは危ない目に遭うとしよう。ではそれはどの年の五月三日か?
新聞連載小説の特権の一つとして同時代性を活用するということがある。登場人物と読者に同じ空気を吸わせる。
去年、二〇一二年の九月に連載を始めた時、ヒロインが犬ノ島に行く日を二〇一三年の五月三日と決めた。つま り近未来だ。
彼女の冒険はその日の二週間ほど前から始まる。連載が進むにつれてその現実の日が近づいてくる。これは書い ていて不思議な感覚だった。もしもその日の前にとんでもないことが起こって設定が壊れたら、話はパラレル・ワールドものになってしまう。
だからぼくは今年の五月三日に犬ノ島に行って(二度目の取材だ)、たくさんの人が集って神事がとどこおりな く行われたことを体験・確認し、安心した。
日本が核武装するなんてフィクションとしても荒唐無稽の極みと思っていた。小説家のわがままを駆使して作っ たプロットだったはずなのに、最近の世間の動向を見ていると、あり得ないと言い切れないような気がしてきた。
「あさぼらけ」は本当に実在しなかったか? こちらの方で小説が現実に追いつかれるとしたら、これほど恐ろしいことはない。
そういう怖い想像はひとまず脇に置いて、連載が終わった今、また高松に行って美汐さんを呼び出し、讃岐うどんの新しい名店を開拓しようかと思う。