最新長編小説「笹の舟で海をわたる」 著者インタビュー
「笹の舟で海をわたる」 著者インタビュー
角田 光代さん
角田光代さんの最新長編小説『笹の舟で海をわたる』は、主人公・春日左織(かすがさおり)の22歳から67歳までの人生が、戦後、昭和の移り変わりとともに描かれている。一見、一人の女性の一代記のようだが、挑んだのはその背景にある「時代の精神性」をあぶり出すことだという。最新作にかけた思いについて聞いた。
――主人公・左織は昭和8年(1933)生まれ。終戦から10年たった昭和30年、22歳の左織は、銀座で風美子(ふみこ)に「疎開先が一緒だった」と声をかけられ、封印していた疎開時代の記憶が蘇る……。
自分の親より上の世代の女性を書いてみようと思った理由は?
角田 私の親は生きていれば70代後半ですが、親やさらにその上の人たちの行動や言葉には自分の考えがないように思えたんです。たとえば、結婚しない子どもに「結婚しなさい」というとき、それが本当に本人の意見なのか、世間の意見なのか、よくわからない。
いまは「幸せは自分でつかむもの」というふうに意志で生きるのが当たり前のように思っていますが、戦前は「他者に生かされている」ところがあったのではないか。戦争をはさんでなぜ生き方がこんなにも変わったのか、書くことで考えたかったのです。
――左織と風美子はやがて義理の姉妹となる。料理研究家として有名になった風美子は忙しくてもなにかと左織の家にやってきては料理を作ったり、子ども達と遊んだりする。性格も生き方も正反対の風美子に対し、左織は羨望と嫉妬の入り交じった感情を覚え、「家庭を乗っ取られるのでは」という恐怖を抱き始める。
風美子に複雑な感情を抱きつつも自分では何も変えようとしない左織にイライラしたり、叱咤したくなります。
角田 自由奔放で欲しいものは何でも手に入れる「戦後」を体現するかのような風美子に対し、自分で考えない、決めない左織はいわば「戦前」の精神性の象徴として書きました。
彼女には自ら幸せになりにいくという概念がなく、物事をただ受け入れていく。左織の願う幸せとは家族が健康でいることくらいです。いまの私たちが言う「幸せになりたい」とか「自分を変える」というのはじつは新しい考え方なのではないでしょうか。
だから、左織の行動規範をつかむのには連載時から苦労しました。ある人と話をしていた時「あの世代は善意や悪意で行動しない」と言うのを聞いて、書きたかったのはそれだとピンときて、単行本のゲラでも改稿を重ねました。
――それをお聞きして、いまの枠組みだけで戦前や異なる時代に生きた人の行動や人生を解釈するのは、事実をゆがめる恐れがあると感じました。
社会が新しく、豊かになっていくことが自分の幸せと同義だと信じていた左織ですが、中学生の娘との確執が深刻になるなど思い通りにいかないことが増え、その原因は自分の後ろ暗い過去にあるのではないかと思い悩みます。当時の食べ物や流行などの描写も興味深く、時代のうねりとともに家庭が変質していく様が見て取れます。
角田 左織の娘の百々子は昭和37年(1962)生まれで自分とほぼ同世代です。前々から感じていたことですが、1960年代をはさんで子どもの育て方もまるっきり変わっていきます。ベビー服やおもちゃ、お菓子など子ども用品が急激に増えましたし、食生活も代わりました。子どもが親を殺すという事件もこの頃を堺に増えていることにも気づきました。
左織は百々子に対していちいち「自分の時はこんなことしてもらわなかった」と感じてしまい、心から愛情を注げないことに戸惑っている。当時はそんなことは口に出せないので、罪悪感で怖かっただろうと思います。
そして、娘はいつも人のせいにして逃げている母親に反発を覚える。いま母娘関係について悩んでいる人が多く、本もたくさん出ていますが、このような時代の断絶が問題の背景にあるように感じます。「実母の存在が重たい」と言えるようになったのも本当にここ最近のことではないでしょうか。
――子どもたちは独立し、夫も亡くなり、左織はひとりで老いていく現実に理不尽な寄る辺なさを感じている。ある日、風美子の何気ない発言にかっとなり、「これ以上巻き込まないで」と口走る。初めて左織の本当の言葉を聞いたような気がしました。
角田 左織には「巻き込まれることが人生」というのが無自覚にずっとあったのだと思います。戦争も疎開も家庭の問題も自分の人生も、何か不都合な事が起こっても、「巻き込まれたからしょうがない」というところで思考を収束させてしまう。それを本人が意識していないところが厄介なのですが。
いま、この平成の社会もなんとなく戦争のほうに寄っていっている気がして、そうならないように考えて行動しなければという危機感があります。そうしないと、万が一戦争に巻き込まれたとき、いやこれは違った、「でも、もう巻き込まれているからしょうがないか」ってなる気がして。
――自分の思いが言葉になり、これまでの生き方を少し冷静に見つめ返した左織は、最後に自ら「終の棲家」を決める。左織の決断にほっとしたような切ないような気持ちになりました。たとえ時代に流されてきたとしても、何も成し遂げていなくても、一人の人間が時代を超え生きていくことの凄みがひしひしと伝わってきてきます。
角田 それは左織が目指してきたものとはかけ離れた未来だったはずです。でも、左織がはじめて、これは自分がやってきたことの結果なのだと積極的に受け入れた。これまでただ受け入れてきたのは違って、自分の責任で住まいを選んだというのは大きな変化だったと思います。